追いかけたいのに息ができない

オタクをしていないと死んでしまう病気のOLが推敲なしの文章を垂れ流す。※当ブログにはアフィリエイト広告が含まれます。

愛すべき夏は8月末・日比谷野音・MATSURI SESSION の中にあった

こんにちは、鹿です。

 

夏・・・ついに終わったのかもしれない。去年に引き続き、夏の苦しい時間に遊んで体調を崩し、秋の過ごしやすい季節にゆっくりするというちょっともったいない過ごし方をしてしまうことに今年もなりそうだが・・・仕方ない。何分私は夏が好きだから。

夏の食べ物が好きだ。桃、スイカミョウガ、大葉、夏に元気が良い食べ物は美味しい。夏の音楽が好きだ。夏のアニメが好きだ。夏のドラマが好きだ。夏をなにかと共有する時間はいくつになってもかけがえのないものに感じる。

 

といっても暑すぎる。なんというか、皆さん、今年から35℃だったらちょっとマシってことにする期間が1か月くらいありましたよね?異常ですよーーーー。

 

異常ですよーーーーー。

異常・・・と言うのも疲れてきた本当の8月末、何といっても8月末、8/31、夕方、私は初めて日比谷公園音楽堂に向かっていた。

 

 

地獄のTHE MATSURI SESSION、第一部ZAZEN BOYS/かもめ児童合唱団、第二部向井秀徳松重豊。愛すべき夏がそこにあった。

 

ところで、野音がはじめてなら私はZAZEN BOYS のライブに行くのもはじめてだった。本格的に聴き始めたのは今年の5月からだ。きっかけは明確で、ガクヅケというお笑いコンビのCOLD BEAT を使ったネタをみたときに腹がはちきれるほど笑い、その興奮ままにガクヅケとZAZEN の両方にドはまりした。どちらも元々好きだったがこんなにのめり込んだのは初めてで、そもそもなにかにのめり込むというのも久々で、とても気持ちが良かった。

結果として改装前の野音にまで連れてきてくれたのでガクヅケには感謝してもしきれない。

 

野音というのも、これまた気持ちが良いところだった。まさしく都会のオアシス。深い緑に囲まれて、夜公演だったからか、嫌な湿気もあまりなく、アベンヌウォーターをスカートの中に突っ込んでばら撒けば気持ち良いくらいの暑さだった。これは大人として最悪な行為なので、野外ライブ以外ではやりません。

 

音楽堂とはよく言ったもので程よい傾斜とおそらくどこからでも見やすいステージだった。大きなステージに、こじんまりとしたバンドセット。ここにZAZEN BOYS が来るんだと思うと興奮が止まらなかった。

 

MATSURI STUDIO から来ました、ZAZEN BOYS です・・・ザゼンを生で目にした時、正直ちょっと緊張した。音楽のライブに行くのが久しぶりで、しかもバンドのライブに行くのはよく考えてもいつ振りか分からなかったくらいだ。

 

・・・ここまでを9月初旬に書き、結果12月がみえるところまで放置してしまった。

2025年が終わろうとしている今でもやっぱりこのライブはとても印象的だったと思う。

 

地獄のMTASURI SESSION がくれた一番は、音楽で踊るという感覚だった。それは長らく忘れていたものだったような気がする。自然と体が前後に上下に振れたHonnoji というのはすごいパワーを持っている。まさしく、ここでぶちあがってしまった。次にどんなリズムを刻むのか、今なにが鳴っているのか、耳や頭で聴くだけでなくて、体で感じたくなるのだ。他に印象に残った曲は、安眠棒とSEKARASIKAと6本の狂ったハガネの振動 だったのだが、どこまでも私はZAZENBOYSⅡ というアルバムが好きなようだ。

ライブ全体を通して感じたのは、非常に月並みな表現になるが「バンドは生に限る」ということだ。どの曲も、お世辞でなく、ええ、ライブのほうがずっとずっと格好良かった。私はリズムのある曲が本当に好きということにも改めて気づけたのだが、このバンドがそこで作るリズムというのは素晴らしい。向井秀徳スマートフォンに合わせてMATSURI STUDIOの音を詰め込んだZAZENのレコードの音は作っていない(

なぜ向井秀徳は12年もの間、自問自答し続けたのか──ZAZEN BOYSがたどり着いた、「らんど」という境地 - OTOTOY

)と言うように、スマートフォンから聞いていたものとは比べようがないほどライブは最高だった。

この場所で音を作るというひりつきが凄まじい。知っている曲のはずなのに次に何が起こるのか分からない。例えとして適切なのかかなり微妙だが、オーケストラに近いと感じた。「人に聞こえるように届ける」というよりも「この場で最良の音を作る」という意志がステージにあった。その意志は自然と人を揺らす。ライブを終えて私に残ったのは具体的な音の良さというよりも、すさまじかったという感覚でこれこそ音楽だと思う。

特に6本の狂ったハガネの振動の最後の積み上げは、全く音の流れは思い出せないのだが本当に震えるほど格好良かった。この時感じた音は、もう何を聴いても思い出すことはきっとできなくて、それくらい良かったということだけずっと覚えているのだろう。

 

もう一つ、向井秀徳というのも生で観るとよりはっきり向井秀徳だと感じた。

というのは、文章でみる刺激的な向井秀徳というのは、生の向井秀徳と限りなく近くて、だからこそ魅力的だということだ。

先に書いた我々の音を聴くならMATSURI STUDIO のスピーカーの前に座るかライブに来てもらうしかないないというのが、全くもって一切誇張していなくて本当のことであるように、彼は刺激的な言い回しをするが実際それははっきりしていて、しかも本当のことなのだ。MCでおそらく暑くて死にそうになったというのも多分本当だし、チェイサーを酒と同じ量飲むようにと我々に忠告しながら酒を煽るその姿も本当で魅力的だった。「あなたの思い出はみんなの思い出」「結局みんないなくなるんですね。でもみなさんがいる。」特に記憶に残っているMCのフレーズはこの2つ。後者は本当に最後の最後にすべてのゲスト、メンバーがいなくなって一人で舞台に出てきた時の言葉だ。

ライブが終わるのは寂しいし、今の野音が終わるのは寂しいし、生きていたら終わることばかりで寂しいけれど、みんなが今日のこと含めてそういったものをなるべく良い形で思い出にしてるんだ・・・。私が思い出にしていることは、誰かも思い出にしている。本物だなあ。人として生きるということの本質を新しく教えてもらった。ビジュアルも含めて、こんなに本物の人はいないと思った。

 

かもめ合唱団と歌った永遠少女は夕暮れの中にあり、松重豊と鳴らした永遠少女は夏の真っ暗でじめっとした夜の中にあった。野音には風が吹いていた。私が好きな夏だった。夏というのは、まさしく思い出のようだ。終わるのがこんなにも寂しい季節はないと思う。今年の8/31は久しぶりにそういった思い出のようで夢のようで、終わるようで、それでいて始まるような日になった。今日のことはきっとみんな何度も思い出すんだろう。そしてみんなまた、思い出を頼りにMATSURI SESSION に足を運ぶのだろう。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

アベンヌウォーターL + 50g増量セット(1セット)【アベンヌ(Avene)】
価格:2,420円(税込、送料無料) (2025/11/24時点)


 

 

それってまさしく Live Forever 【Oasis LIVE '25 10/26東京ドーム】

 

東京ドームでoasisを観た。否、一緒に歌をうたってきた。

やはり当然、非常にBIBLICALで特別な公演だったので、この日の感動を私からoasisへの思いと共にここに残したいと思う。

oasis、みれてマジでよかった~~~~

 

当方、20代後半、女をやっていますが、oasisとの出会いから語らせていただきますね。

2009年に解散したoasis、私が彼らの曲を知ったのはテレビCMだった。

なんのCMか全く覚えていないが、曲はwhatever。多分時期は、解散直前くらいだったんじゃないかと思う。(wikipedia によると2009年2月にアサヒのCMで使われたらしいか全くピンと来ていない。)

私の家は両親のCDが百枚くらいあって、気になった曲があったらまず家を探していたので、当然oasisを探した。なかった。ロックバンドは父親の方が好きなので、oasisって知ってる?どんな感じなの?と聞いてみたところ「まあ、oasisも良いけど聴くなら先にビートルズを聴いた方がいい」。今思うとかなりの厄介おじさん回答をされた。私はすなお子供だったので、あ、そっか~と青盤赤盤を何度も聞いて、CDについていた解説本を読みこんで、普通にビートルズにはまった。oasisのことは、一旦忘れてた。

時は少し経ち、再びoasisチャンスがやってきた。震災後くらいのauのテレビCMにドンルクが使われたのだ。こちらは映像も含め結構ちゃんと覚えてる。

良い歌だなあという月並みな印象だった。whateverをきいた時もそうだし、なんなら今もそうかもしれないがoasisの印象って良い歌だなあ、だ。

私にとってのwhateverとドンルクの数年の間に一番大きく変わったことはインターネット解禁だ。音楽については誰かに聞くということが家で出来る最も確かな方法だったのがだから、これはかなり大きかった。今度はoasisについて、真っすぐ調べることができた。ああ!あのときの!whateverと一緒!ああ!ダブルボーカルなんだ!?Youtubeでたくさん動画をみて、とにかく夢中になった。ギャラガー兄弟のおもしろ動画やら、デビューから駆け上がったoasisがどういう存在だったか色んなアーカイブ記事やらブログやらも読んだ。

調べていくうちに、私がビートルズにはまっている間にoasisは解散していることを知った。少し父親におい~となりそうになったが、もっと調べるうちに、ギャラガー兄弟がフリークなので、oasisを聴く前にビートルズのメジャーなところを舐めておいたのは良かったのかもしれないなと思った。もし、oasis入社試験があるとしたらビートルズの曲を30曲言えないなんてあり得ないことなのである。

そして、oasisの曲を愛する上でビートルズに先に触れていたのは非常に手助けになったように思う。

私にとって、ビートルズは初めて初期~晩期という流れで曲を聴いた大物バンド(!?)なわけなのだが、赤盤青盤の解説を読んだおかげでこういうものが好きだから、この時はこういう曲調が多くて・・・だとか、だんだん生音でなく作った音に拘りいわゆるサイケな方にいっただとか、フロント二人がすれ違っていっただとか・・。いわゆる「音楽性の方向の違い」というのは本当にあるんだというのもビートルズで知った。また、ジョンとポール以外のメンバーの曲が結構痺れるような王道のカッコよさがあるなあだとか、複数人でやるからこそのバンドの音楽的歩みというのを先に知ったことで、oasisのことも自然と好きになれた。そもそもバンドの音楽的歩みというのが世界中に注目されたのは多分ビートルズが初めてに近いわけだから、やっぱり凄いし早く聴くに越したことはなかったと思う。

oasisも1枚目から最後のアルバムまで通しで聴いて、やはり印象としては「どの曲も良い」だった。これってどう考えてもすごい。oasisもどんどん音が分厚くなり、サイケというよりは壮大になって、シンプルに曲が長くなり、ノエル以外の曲も増えていったがそのどれもが良い。最後のアルバムまでファンに人気の曲があるのはすごいと思う。

加えて、リアムの声はオンリーワンでノエルの作る曲はナンバーワンで2人の生き方やビジュアルがマンガ的。こんなおもしろいのに良い曲しかないなんて、私はoasisを一気に好きになった。

 

2018年、はじめてリアムのソロライブに武道館に行った。その時、リアムはoasisの曲を好きだということが真っすぐ伝わるセトリで、その上でソロも良い曲を作っていて、もう奇抜ではなく、自立したアーティストなんだなと思った。MCも良かったし、Champagne Supernova をこの目で見れたことに感無量だった。

 

2024年、oasis の再結成が発表された。

嘘みたいだ。嘘みたいだけど、リアムのソロはめっちゃ良いし、ノエルのソロもかっこいいし、ここでバンドとしてもう一度音楽を一緒にやるというのはああ、そうかという納得もあった。

再結成の発表こそ特大ニュースだったけど、次に発表されたのがまず地元でのライブということが、なんだか昔と変わらず剥き出しというか、このやり方しか知らないというoasisの声が聞こえてくるようだった。

秋、日本でデビュー30周年を記念してLive Forever展が開催された。

当時、まだ日本公演は発表されていなかったが、それでも昔からアツいこの日本でのoasisという文化を絶やさないための力に少しでもなれたら良いと思い、足を運んだ。

この展示が私にoasisの曲をさらに染み渡らせるものだった。

Live Forever展は展示物の圧倒的多さでプレミア感もあり、アルバムごとのコーナーなど分かりやすさもあり、本当にoasisを知っている人もあまり知らない人も楽しめるものだったと思う。直筆の歌詞、アルバムジャケットの展示、インタビュー映像、実際に使われた楽器などに心が躍った。やっぱりoasisって格好いい。そして、そんな素晴らしい展示の中でも私の心をひと際打ったのは、いしわたり淳治の和訳歌詞の展示だ。

Acquiesce、Whatever、The Masterplan....素晴らしいジャケットをでかでかと、その隣に歌詞だけを添える。oasisのことが大好きな人しか思いつかない展示だと思った。そして、私は、このときはじめてoasis の歌詞って素晴らしいということを実感した。ちょっと遅すぎるのは許してほしい。私にとって、このときが大人になって初めて和訳まで触れた歌詞だったから。

十数年前oasisを好きになった時は、純粋にoasisが好きだった。だから、Acquiesceだって、他の曲だって自分のこと或は自分たちのことを歌っていると思っていたし、それがかっこいいと思っていたのだ。この展示でそれは全然違っていて、oasisの歌は、「人」の歌だと、そう感じたのだ。oasisみんなのうただと言われる所以を私はこの時感じ取った。先にあげた3曲は兄弟で歌うことに痺れる「Acquiesce」日本での認知度が高いオケが印象的で感動的な「Whatever」激渋サウンドと激渋でありながらもアツいノエルのボーカル「The Masterplan」と、割と異なる曲調だが、歌われているのは「なるようになるし、やりたいようにやれる、大丈夫」そっか、oasisっていろんな形でずっと生きるのが大丈夫でいれるように歌ってたんだ。そして「Let there be love」私はこの曲が大好きだ。やっぱり2人で歌う曲は特別に思ってしまうし、特にノエルパートのメロディーがめちゃめちゃ良い。そこに愛がありますように... 初期で私たちにいろんな形で寄り添って励ましてぽんと背中をたたいてくれたノエルが書くとびっきりの愛の歌。今、手に持っている全てを離すまいとぎゅっと握りしめたくなる。この愛とともにどこまでもいたい。

私は、大人になってノエル・ギャラガーの書く詩がこんなにもこんなにも染みるようになっていた。

大人になればなるほど、「なるようになる」という考え方が強く優しく温かく感じる。みんな私のことなんてそんなに興味ないんだから私は私でいれば良い。そう思うとなんだかすごく自然に前を向ける。

ロックンロールな振る舞いと同じように、「やりたいことやれよ!」と鼓舞するような曲という印象を昔は持っていたのだが、ノエルはどこまでも優しく、そばで目を見て、前を向かせてくれる曲を書く男だったのだ。

もう一つ、この展示を通して日本のoasis担当スタッフの愛も改めて感じた。前々からラジオ等々で、oasisが世界に見つかる前に日本が見つけたというアツい思いは受け取ってきたが、この展示でとにかくたくさんモノを集めて、たくさんグッズを作って、30周年という節目でもう一つ盛り上げよう、これからもoasisの人気を絶やさないようにしようという「使命」を感じた。我々もそれに答えなきゃいけない。特に新しい作品を出す見込みが今のところない海外バンドなんて、部屋で同じCDを何度も聞くだけではすぐに日本でライブなんかしてくれなくなるだろう。ずっと愛を表現し続けようと、その一心で予定の倍グッズを買った。

 

展示期間中に日本公演がようやっと発表された。もう、日本でみれなくても良いやと自分を洗脳し始めてた頃だったので、めちゃめちゃ嬉しかった。

家族にも応募を手伝ってもらったが結局すべて落選。2023年のリアムの来日公演も普通に落選したし、なんだか、めっちゃあり得なかった。

とはいえ、まだ諦めていなかった。人気K-POPアイドルのライブを一般でも取ったことあるし、バナナマンのライブも2回当てているぞ、本当に行きたいライブに人は行けるはずだという謎の自負があった。

oasis一般発売日、普通にアクセスできなかった。思ったよりもみんな、oasisのことが好きだったようでかなり落ち込んだ。あ、私が、行けないんだ。

そこから、連日時間が空けばoasisのチケットページを覗くことがルーティーンになっていた。チケットを取れるなんて思っていない。でも、取れるかもしれない・・・。

結果、取れた。

当時、私はあまり人に言えないくらい残業残業の日々だったので、その日も日付を回ってから帰宅してサイトを覗いたら、なんかあったのだチケットが。しかも両日。とりあえず初日がよかったから25日のSS席をみたら、アクセス不可。ページを戻ったら25日は全て予定枚数終了。冷汗が出た。一般の時と同じだ。でもこれを逃したらまじでまじで買えない。ハートは熱く、頭も熱く、指先だけはクールに、私は2日目、26日のチケットを手に入れることができた。

買えた後は誰もいない部屋で携帯を抱きしめた。嬉しい嬉しい。そして次は、そりゃあそうだろ、私が買えないなんてあり得ないだろとでかい態度になった。

 

チケットを取れてから長い11か月だった。仕事もついに春から落ち着き、ライブが近づくにつれ、本当に興奮した。仕事が落ち着いたと思ったらライブ前1週間で急に忙しくなり、また、東京は寒くなった。

本当は在宅勤務にして連日oasisの動画を観たかったのだが、全く触れられないままライブ当日を迎えた。

 

すみません、やっとここからライブがはじまります。

 

2025/10/26、雨ーーー。

前月行ったSTINGのライブで(この話もまたどっかでしたい。めっちゃ良いライブだった)長い傘を会場に持ち込めないことを直前に知り、てんやわんやしたので今回はちゃんと事前に注意事項を読んで、折りたたみ傘で向かった。

買う予定のなかった一番ベタなライブTシャツを着て、ほくほく気分だ。

初日の様子は前座のアジカン以外動画は一切見ないようにして、リアムの調子はめっちゃ良いことと、意外と萎えるコネチケはなさそうで良かったということと、ポズナンという文化があることを頭に入れていた。

到着したらまずトイレ。オタクの鉄則だ。私の東京ドーム史上最も女子トイレがすいていた。アイドルのライブ以外で来たことがないからまあ当然である。

席は初の外野席。背もたれがなくて狼狽えた。前後左右の人に迷惑をかけないよう細心の注意を払わねば。2日目の前座はおとぼけビ~バ~だった。バンド名はもちろん何度も見かけたことがあるが、ちゃんと聴いたことはなかった。しかし、まあ、彼女たちが最高だった。oasisのライブがマンチェスターのジジイたち主催のカラオケ大会にならなかったのは、おとぼけビ~バ~のおかげも少なからずあったと思う。宣言通り、東京ドームを一番アツいライブハウスに一瞬でしてくれた。曲も演奏もパフォーマンスも最高にかっこい。歌うように楽器を叩き、楽器のように歌うバンドで自然と体を振っていた。両隣が空いていたので、結構思う存分踊って、歓声をあげた。MCも花火のように瞬間的にアツく前座として最高のパフォーマンスだった。かっこいい。oasisと全然違う音楽なのが本当に良かった。でかい東京ドームに小さいバンドセットでかき鳴らす様はoasisとは違う方向でロックンロールだった。

30分の時間を空けて、18時丁度にOP映像が流れた。

来る、oasisが同じ空間に、来るーーーー

もう登場のリアムのTOKYO vibes in the area で、あ~~~めっっっいい~~~~。

一曲目がHelloってマジで最高だなって思った。この曲ってやっぱoasisじゃなきゃだめだから・・・という思考回路に自然となっていた。この重明るい曲調(そんな言葉は多分ない)って、oasisサウンドのでかい特徴だ。そして、それをだらけさせないリアムの圧倒的主人公ボイス。これだ、これだ、これはそれぞれのソロでは絶対見れない。戻ってこれて良かったぜ。

続くAcquiesceなんかは誰がどう考えてもoasisじゃなきゃできない曲だ。夢にも見ていなかった。この曲を本物を聴けるなんて。初めて知った時はノエルからリアムへあてたオタク大熱狂曲なのかと思ったが、先述したLive Forever展で多分それは違うという解釈になって、この日、本当の演奏を聴いて、いいや違う少なくとも今この瞬間ノエルは私たちオーディエンスに向けて「お互いが必要だ」と歌っていると確信した。そして、何なら私だろと思った。oasisは私を信頼して必要としているだろうが!私もです!ほいで、この空間にいるみんなと、隣で歌う人とお互いに信頼し合っている。

バカげていると思うだろうか、しかし、本当にそう思ったのだ。そして、その時長年インターネットの中だけの話だったこのバンドの魅力と本人含め様々な場所で語られる「oasisはみんなのもの」という感じがぶわっと自分の中を駆け巡った。感じたことのない快楽だった。マジで、oasisってみんなのものだ。私に歌っているような気がするし、多分歌ってる。それで、私が歌っているようにみーんな歌っていて、それよりもでかい音をoasisが鳴らしている。みんながoasisの為だけでなくみんなの為に歌っている。(余談だがこんな感じでoasisってマジで全員歌っているので本人の声がかき消されたり特定のファンの声が悪目立ちすることが一秒もなかった。だから、歌わなくたって全然浮かない。常識から外れなければどうやって聞いたって変にみられることはないと思う。これもみんなのライブだと思った。)

ここから、Supersonicくらいまでずっと「歓」だった。正直記憶があまりない。記憶がない時間が長すぎる。勿体ない。リアムのありがとう大放出、ノエルのギターのえぐさ。Morning Glory凄かったね。そして、とにかく曲がぜーーんぶかっこいい。一つ、ライブが終わって改めて思ったことはノエルってボーカルのメロディーラインだけでなく、イントロも間奏もとにかく作るメロディーが全部かっこいい。だから、多分ずっと「歓」だったのだ。曲が始まった瞬間吹く風が強い。

Cigarettes & Alcohol でのポズナンのときしかり、リアムがとにかくご機嫌に見えた。2018年にみたときもご機嫌だなあと思ったけど非じゃないくらいだ。ありがとう大放出。動きもなんかぴょこぴょこしている。あなたは、congratulationと好きな人に言われたことがありますか。

Fade away って本当に良い曲。oasisのなかではかなりのアップテンポだが歌詞がどちゃくそ良い。私は未だに思春期の儚さというものが好きなのだが、この曲はまさにそんな感じで、生で聴いたとき「ノエルの曲を一番うまく歌えるのは俺」というのはこのことだと思った。リアムはもう立派なおじさんなのに、大人ということをまだ知らないみたいなこの曲にぴったりな歌声を今も出す。ノエルが書く抽象的なメッセージを抽象的なまま角ばった形にすることができる特別な声だ。当時まだノエルも20代になったばかりだっただろうに、こんな歌詞をこんなメロディーに載せるという大人にしか作れないだろという曲を、リアムが子供のように真っ白に歌ってくれるからシンプルにしているようだ。アウトロも幻想的で良かった。

激渋Supersonic。ここで、なんか我に返った。それまでも良かったがバンドサウンドが耳になだれ込んできて音楽ライブに来たという状況を思い出した。oasisのライブを今見ていて、メンバーはここに生きているんだと思った。遅い。

演奏、バチバチにかっこよかった。モニターに二人が映っている構図も良かった。というかOP映像以来モニターを初めてまともに見た。いっちゃん最後であり得ない終わり方をしたがぎりぎりかっこよく聞こえたのでそれも含めてよかった。

ここから、ちょっと正気になった。危ない。全ての記憶がないままライブが終わるところだった。

Talk tonightからのノエルボーカルターン。いや、全部名曲。ここのブロックでやった3曲は特にメロディーの上げ方が感動的。リアムと違って哀愁&熱 という感情が乗ったボーカルがすごい良い。

そして、D'you know whar I mean? ライブで一番好きになった曲かもしれない。

かっこいい。2人がこうして一緒のステージに立ってくれてよかったと思った。遅い。モニターの2人が本当に画になっていた。ロックンロール。ノエルのコーラスは本当にきれいだし、ギター意味わかんないくらいかっこよかったのにリアムの奇行(タンバリンマラカス叩き)も意味わかんなかった。あのような時何を考えてるの?これぞOasis

 

なんか、ここから演奏のギアあがったような気がする。後半でちゃんと上がるのすごい。リアムもノエルもさらに声が出てる。リアムのありがとうのバリエーションも様々だ。ありがとうに感情がのってる。

Slide Away 私が見てきたどのSlide Away よりもかっこよかったと思う。というか、生で観てしまったら動画なんて掠れちゃう曲かもしれない。ノエルの間奏のギターリフがめちゃめちゃ印象的だ。気持ちよさそうにギターを弾いている。私の中で、ノエルって背を丸めて本のページを捲るみたいに大切に演奏する印象だったから、ギターと一心同体という感じでアツい演奏がガツンと響いた。アンディとゲムもイケイケでなんか恋しそうになっちゃった。

そして、ここからはガチスーパーヒットソングがずうっと続く。凄すぎで書くことも思いつかないが、一曲ずつコメントしてみようと思う。oasis再結成知ったばかりの自分がみたらぶっ飛ぶくらいのガチスーパーヒットソングたち。

whatever

観客の大合唱の熱が高くなった。ここから、最後に向けてみんなでまた一つになろうという感じだ。ノエルのコーラス付きではもちろん初めて聞いたのだがもう泣いちゃうかと思った。ありがとう。最後のオクトパスガーデンもwhateverと同じくらい気持ちよく歌えたね。

live forever

アンセム。このメイベーを聴くために、生き続けると歌うために私たちはここに集まったのだろう。体感15秒だった。一瞬で終わった。

Rock N' Roll Star

大好きだ。始まりの曲。ギャラガー兄弟そのものの歌。ここから抜け出すためにはロックンロールスターになるしかない。2人は30年たってもロックンロールスターだ。私だって今夜ロックンロールスターだ。

The Masterplan

ここからアンコール。一曲目がこれはちょっと渋~~~。かっこよすぎる。結局ノエルが良いとこもっていく。とはいえ、今高らかに歌えというフレーズは確かにアンコール曲にぴったり。誇りを持て と、流れには逆らえない この2つは両立するし、流れには逆らえないからこそやりたいようにできるだろという優しさがノエルの真骨頂のような歌だ。

Don't look back in anger

そして、ご本尊ドンルク。バンドメンバーが全員モニターに映って歌は皆で歌って、卒業式みたいだ。バンドメンバーを観て、あーキーボードの人知ってると今更気づいたり。とにかく幸せというか、この場にいれること当たり前じゃ無いと感じた。いやー良い歌、本当に・・・。

Wonderwall

ここからは、本当に記憶がない。歌ってたら終わってた!でもそれでいいでしょう!

Champagne Supernova

ラストMCでSpecial Place と聞こえて大歓喜。こんなことも言われたことない。とびっきりのリアムの愛。歌ったら終わってたPart2なのだが、最後だと思うとちょっと泣いた。大好きな曲だ。oasis にはまって最初に聴いたとき一撃で大好きになった。サイケでメロディックでオンリーワン。

兄弟のハグは、リアムがおいおいとノエルを煽り、ノエルもそれに応えてまるで大型犬のように抱き着くリアムを受け止めていた。それは、信頼のハグにみえた。

 

ということで、2025年最大のイベントは時間ぴったりに幕を閉じた。

再結成のツアーは今のところすべて同じセットリスト。全ての公演で同じクオリティのものを届けようと集中している姿もまたかっこいい。だからこそ、最後の信頼のハグが胸を打つ。oasisoasis でいれたことを大切にしているようでじーんとくる。もう十分すぎるくらいoasis からは受け取った。こんな日が来るなんて思ってなかった。ただただ、今はありがとうだ。

 

ライブ自体はこんな感じでふわふわというか夢か現かみたいな時間も結構占めていたのだが、終わって電車に乗りながら私ははっきり分かったことがあった。

ああ、だからリアムもノエルもファンもlive forever が好きなんだと。

live forever 生き続ける。カート・コバーンの自殺という状況の答えなんて情報はすぐ調べたら分かる。でも、でも、この目で聴いて、live forever はわたしにとっても特別な歌になった。

生きるのってつまんない。苦しい。そして、生きるのが終わるのも怖い。なんで生きているんだろう。どんどん年を重ねて、本当に生きるのが終わるのが怖いというだけで生きているだけのような気がしていた。しかし、解散したのにまた手を取り合って同じ音楽を届けてくれたoasis を観て、生きてなきゃこれはあり得なかった。生き続けるのってかっこいいって心から感じた。絶望的な解散だったのに、2人とも音楽から逃げずに生き続けてくれたから、ロックンロールスターであり続けてくれたから、だからこのド王道真っすぐ再結成ライブが実現したのだ。それってまさしくlive forever。どんなに不格好でも生き続ける。30年前の曲なのに、ノエルにはこんなに素晴らしい世界が見えていたのか。生き続けなきゃだめだという漠然とした感じだけでなく、生き続けることがかっこいいということが分かっていたのだろうか。だって、ニルヴァーナビートルズも再結成は絶対にできない。マイケルジャクソンは絶対に帰ってこない。誰もが認める大成功をおさめながら、生き続けて音楽を選び続けていることがどれほどの奇跡なのか、その格好良さに私は勇気をもらえた。

生きるのが終わるのは怖い、ライブに行ったり、美味しいもの食べたり、楽しいこともある。そして生き続けるのってかっこいい。oasis がそれを体現し、生きるロックンロールスターのoasisが言うのならやっぱりlive forever なのだ。自分たちで自分たちの曲の素晴らしさを30年かけて証明してみせたoasis にただただありがとうと伝えたい。

 

oasis はみんなのもので、私のうただ。変わらずロックンロールスターで、変化していく関係や音楽を剥き出しにかっこよく、絶対に私たちに向けて届けてくれる。歌ってくれることこそが何よりのファンサービスで、だから、外野席のファンがたくさん見える席がすごく楽しめた。oasisもみんなも私もロックンロールスターで、全員oasis が大好きだ。

 

ライブに行ってから、私はちょっぴり体が軽くなった気がする。このくそみたいな世界で生き続けないと私は私でなくなる。もう何にも惑わされたくない。小さい頃に好きになったoasisは、その時のままかっこよくて本物だったから。私は私だけがみる世界を探す。

 

鹿

 

 


 

まごころをこめる大人になれなかった、なれるかな -最近作ったごはんと高畑勲展-

こんにちは、鹿です。

 

今年はよく遊んでいる。

好きだけど行ったことのなかったアーティストのライブや新しい習い事など私にしては精力的に活動している。下半期もそんな予定が結構目白押しだ。

 

【最近作ったごはん】

カルボナーラと生春巻き

友だちにもらったカタログギフトで生ベーコンを手に入れた。

色々な媒体で見るたびに憧れていた牛乳を使わないガチ・カルボナーラに挑戦だ。

 

カルボナーラの作り方♪

★全卵・卵黄(1対4くらい)をボウルに入れてよく混ぜる

★チーズをすりおろす。はじめてかたまりチーズを使ってよい気分。量は、卵とチーズが一体化するくらい。とろろですか?というくらい。ここで黒コショウもちょっといれる。

★ベーコンを切る。オリーブオイルでかりかりになるまで炒める。

★大鍋でパスタをゆでる。茹で時間-2分。塩は大量。麺は細めが良いらしい。

★ベーコンフライパンに火を消してからゆで汁をいれて、弱火にして油と乳化させる。乳化ってよく分かんなかったが、やってみたら分かったよ。油と水が完全に混ざる瞬間がやって来る。

※私は、火を消さないでゆで汁をいれてしまったのですが、そしたら大爆発でした!フライパンが!すぐに火を消したのにぱちっぱちっ油はねまくり!!!!が10秒くらいあったので、まじで火を消してほしい。

★フライパンの火を止めてパスタを直接入れる。ゆで汁も足してよく混ぜる。塩味はこれで十分というくらいまでしっかり塩をいれる。ゆで汁はね、どれくらいだろ。フライパン傾けてしっかり汁あるなあ~というくらいまでいれる?

★卵チーズボウルにパスタを全部入れてよく混ぜる。

ソースの緩さが気に食わなかったら、フライパンにソースごと麺を戻して、弱火で高速で混ぜて良い硬さにする。私はやってない。

★皿に盛りつけて大量に黒コショウをかける。ミルで引くやつだといいね。

 

できたカルボナーラ。ピント終わってる。旨い。しつこくない。チーズの海。

 

♪生春巻きの作り方♪

★特にないかも。ライスペーパーの袋に書いてある通り。

巻く時は手をびっしゃびしゃにした方が良い。

★具はにんじん、きゅうり、サニーレタス、パクチー、春雨(存在感まじでなかったので、そうめんの方が良い)、海老、サーモンでした。でもまあ、何でもよいかも

できた生春巻き。わたしって生春巻き好き歴かなり長いかも。大好き。

 

 

できたカルボナーラと生春巻きをもう一度。チリソースも作った。酢・砂糖・唐辛子(種なし、辛い奴だったらすぐ出して捨てちゃえばよい。それでも風味はつく)・ケチャップ

普通に食いすぎですね。私は自分が好きなものならよく食べる。

 

➁ポッサム

韓国のゆで豚。大好きだね~これ。韓国料理って野菜と香辛料がメインで美容大国はしっかり美容大国なんだなとしみじみ思う。

♪作り方♪

★玉ねぎ、豚バラブロック、生姜(後で食べたい皆は薄輪切り)、にんにく、料理酒(多くの料理は清酒の方が良いが、ポッサムについては料理酒を推す。)、みそ、しょうゆ、塩、黒コショウをいれて強火。沸騰したら弱火。アクをとって40~50分煮る。

★粗熱とって切る♪

★サンムを作った。大根を極薄輪切りにして、塩もみして15分。水気をよく切り、砂糖・お酢と和える。

 

はい~ポッサムよ~。

サニーレタス、エゴマのはっぱ、白髪ねぎ、キムチを添えて。ソースはみそ・豆板醤・酢・砂糖・ごま油・チューブにんにく(チューブが良い)・いりごまをぐちゃぐちゃ。

 

どの料理もとっても上手にできました♪あちこちで見たレシピや食べたものをごちゃごちゃ組み合わせたら美味しくできたのでよかった。

 

ご飯好きだなあほんとに。ご飯のことしか考えてないもんな。外で食べるのも家で作るのも大好きだ。ご飯ありがとう。ご飯・・・・ご飯・・・・

 

高畑勲展】

高畑勲展に行ってきた。オタクは皆行くと良いし、会社員も皆行くと良い。なんだか、非常にぐっと来る時間でした。

 

全編通しての印象は「チームワーク」だ。

色々なレジェンド職人たちの絵コンテや背景画などが見れたのももちろん最高だったのだが、同じくらい高畑勲の仕事の仕方というのにひどく感銘を受けた。

登場人物がどの場面で登場するかまとめた表だったり、どのように感情が動くかをグラフ化したものだったり、そういったチームで仕事をする上での工夫というのが染みた。染みる歳にいつの間にかなっていた。芸術に携わる人たちってなんとなく直感的に仕事をしているのかなと思っていたのだが、全く違っていた。その直感をみんなで共有できるように誰が見ても一目で分かるというのを大切にしている人だったのだろう。

高畑勲の作品は、作品によってさまざまな工夫を凝らしていて、それを実現するには物理的に膨大な手間と時間が必要だったわけで、そうなってくると「自分の理想を実現できる人手」は多ければ多いほど良い。頑固者と言われていたイメージがあるのだが、頑固だったからこそ、一人でやるよりチームで動いたほうがより良いものができるということをアニメーションの世界で日本で最初に確かめたのかなと思うと、会社の駒の私としては本当に胸が締め付けられる思いだった。

アニメーションの設計図といわれる「絵コンテ」それをより実際に必要なものに近い形に起こした「レイアウト」こうしたいわゆる説明書のようなものがどれほど正確に作られているかによって仕事の出来が変わるという。そして、そのレイアウトが非常にうまかったのが宮崎駿で、彼なしで私の作品は作れなかったと高畑勲は言っていた。本当にそうなんだろうなと思う。仕事をしている人なら、誰もが共感できるはずだ。準備を怠った仕事はその大きさに関わらず必ずどこかでぼろが出るようになっているから・・・。

高畑勲の初期、つまり「アルプスの少女 ハイジ」や「赤毛のアン」など確実な締切りがあるテレビシリーズを絶え間なく手掛けていたころにはこうしたチームワークが特に重要だっただろうし、アニメーション制作の分業・システム化が上手く回り始めたときの快感というのも想像すると笑顔になってしまった。

そして、高畑勲の遺作「かぐや姫の物語」。私が今回この展示に足を運んだのもかぐや姫が大好きだからだ。最もシンプルな絵のはずなのに、最もリアルに感じる。本当にそこにいるように感じる世界が色づく様子や、躍動感が誇張なしにアニメーションの到達点だと思っている。ストーリーを知っているはずなのに、物語の中に入り込んでしまう。最初に竹取物語をアニメーションにしようと思ったのは50年前らしい。温められ続けた執念の奇才の企画が積み重ねた確かな技法で世に放たれたのだと思うと本当に凄い。紹介のビデオでちょっと高畑勲だったか作画の田辺修だったか忘れたのだが(!!!?!?!)が「同じイメージを伝えなければちゃんと喋らなきゃいけない。みんな人なんだから。」というようなことを言っていて、初めて展示会で本当に涙が出そうになった。

イメージの共有って本当に難しい。仕事でもなんでも誰かと取り組んだことで上手くいかない原因って100%コミュニケーションだと思っている。個人的に昨年度までそれが破綻するまで追い詰められたところで働いていたから、それを知っていて大切にしている人がトップにいる組織って本当に素晴らしいなと思ってしまったのだ。かぐや姫の物語では、少ない線の絵で感情・風景を想像させるためにくまず通常の3倍の量の原画が必要だったという。また、登場人物を動かすと同時に、背景とカメラワークも動かすことに挑んだため(かぐや姫の異常な完成度の理由を初めて知れてとっても嬉しかった。それくらい、かぐや姫では自然にこれをやっている。)、やはり想像を絶する量の絵が必要だった。イメージの共有がされていない現場だったら誰もそんな量の絵を描きたくなかかっただろう。でも、初期の作品から「アニメーションの方々へ この作品はこういう背景があるから、この目はこういう風に描いてください。よろしくお願いいたします。」というすごく丁寧な指示書を書いていたり、チームワークの為の工夫をたくさん凝らしたことを展示から教えてもらったから、かぐや姫の現場でも当然、どういうアニメーションを目指してるからこれだけ描いてください。お願いします。と理由と一緒に指示をしてくれたんだろうなということは想像に容易い。そう言われたら、めちゃくちゃ大変でもゴールがあるならなんとなく頑張ってみようと思えるのが人間で、ゴールがあるのとないのとでは仕事への実の入り方も全然違うというものだ。

時間と労力をかける、こうじゃないとチームワークってできないんだ。また、高畑勲だけでなく、宮崎駿やその他たくさんの職人たちの丁寧に練られた企画書や作品解釈の資料を観て、チームワークが上手くいって余計な手戻りが少なかったからこそ、こうした個人の作品性・才能を剥き出しにできる作業にかける時間も限られた時間の中で取れたわけで、だからこんなにも素晴らしい作品が生まれたんだと本当に感動してしまった。

平成狸合戦ぽんぽこの大量のイメージボードや、セロ弾きのゴーシュの素晴らしい背景画などたくさんの絵の資料にももちろん夢中になった。そのどれもこれもくさい言葉だが、みんなで一緒の方向を目指して作品を作っていたからだろう。

高畑勲は、また、その戦友たちは、アニメーション作りに心血を注いでいた。凄まじい作品の裏には、理想を実現するためたくさんの時間と労力がかかっていた。全てをかけるような凄まじさとよりも、そこに私はまごころを感じた。

今の世界は情報に溢れていて、私たちは色んなことを知れるから色んなことを気にかけなくてはいけない。かく言う私も仕事より、遊びのことを考えている時間の方が多いし、その遊びの幅もちょっと広すぎる。全てに対して時間をかける時間が少なくなっていっている。それってもしかしてちょっともったいないのかもしれないと今は思う。自分がやりたいことと言われるとどこか委縮して、なんにも思いつかなくなるのだが、まごころをこめたいことと思うと何か見えそうな気がする。もう少し、自分が本当に時間をかけたいものを考えてみても良いのかもしれない。

その方が生きられるとそう思うのだ。

 

鹿

 

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

かぐや姫の物語 [ 高畑勲 ]
価格:3,722円(税込、送料無料) (2025/8/18時点)